こんな考えを持っている人に読んでいただきたいです。私のことです。
- 人生が消化試合のようになっている
- 何かしなくちゃ、とくすぶっている
- 社会人って休みの日はなにしてるか疑問
- 小学生のころに戻りたいと思っている
そして未来の自分に問いただしてみます。
この記事を読み返している未来の自分へ
人生・物語は充実していますか?ワクワクは続いていますか?冒険の日々ですか?幸せですか?
死んだような日々、ただ何となく生きて何となく死ぬ
時間ばかりが過ぎていく毎日でした。
今までの無駄に思えた時間の過ごし方です。
何となく生きて何となく死ぬ
人生の目標もなく
会社である程度の位置にいながら
結婚もできず、まぁ悪くないと思っていました。
はやりやブームを追いかけ
多少の刺激を受けながら
ただ何となく生きて何となく死ぬ
そんな人生だと悟っていました。
休みの日の過ごし方
youtubeを見て、Amazonプライムを見て
まとめサイトを見て、なろう小説を繰り返し読んでいました。
好きな作品は5回くらい読み返しています。
まぁ別に不満があったわけではありません。
大人って休みの日は何をしているのだろう?
既婚者は家庭があり、イベントが発生してますが
季節のイベントも何もなくなってしまい刺激のない人生になってしまいました。
仕事も慣れてきてでも三人称視点のように
嫌な仕事をしていても
後ろから眺めながら「自分」というプレーヤーを
操作すれば割かし最低限はこなせました。
このままではいけない
でも、楽しいと思えることが少なく
こんな生き方をしているとマズい。
生の活力が感じられない。
人生消化試合のようになっている自分を変えたいと、くすぶっていました。
しかし、なにをやればいいか分からない(T_T)
色々なことに手をだしてきました。
色々と試す
なにもしていなかったわけではなく、色々と試し続けてきました。
以下に代表的なものを記載します。
- 旅行
- ボルタリング
- ダイビング
- アロマ
- ゲーム
- オペラ鑑賞
- ボイストレーニング
- オシャレ
- 読書
- 株式
- スポーツ
- サイクリング
- 婚活
- etc…
一つ一つはとても面白いのですが、定着はしませんでした。
そしてブログに出会いました。
ブログを始めて
現状はブログ作成が面白いです。今までチャレンジしたことの体験談を発信できるからです。
自ら作り出す、社会に認められたい、発信するという承認欲求なのかもしれません。
ブログを始めるも…
実はブログも初めは、はてなブログで書いていました。
ただ、そのブログは書いていて面白かったのですが、
なんか自分じゃないと思いました。
ほら、記事の始めに「こんにちは~です!」みたいに
挨拶すると思うのですが、その名前、態度がしっくりこずに
なんか気持ち悪かったです。
WordPressへ移行
他のブログを見たり、本を読むとみんな
WordPressに移行していました。
文章を書くのは性に合っていたため
どうせお金を払うならWordPressで始めようと考えました。
ドメイン名が決まらない
勢いでWordPressの登録を行っていたため
ドメイン名で大変迷いました。
ドメイン名=ブログの顔・コンセプト
という風に考えているため真剣でした。
また中途半端に、はてなブログで書いていたような
「自分じゃない感」で記事を書きたくなかったのです。
私はゲームでもキャラ名を決めるのが苦手で
しっくりこない名前をつけると
愛着をもってプレイすることができませんでした。
「ブログ飯」を読んで
この時は染谷昌利様の「ブログ飯」という本を読んでいたため、
私は根本で何が好きか?何をしたいか?
素直になって延々と考えていました。
初めの記事
そして一番最初の記事がこれです。
たどり着いた答えは「カンテラ」でした。
このブログ初めての記事を書いた時
もう恥ずかしげもなく、なにも隠さず
本心で書きました。
文章酷いです。
キーボードをたたきつけるように
打ち込んでいたとおもいます。
そして勢いで公開。
幸いまだ誰にも見られていないため
ほっとしています。(2020年2月18日現在)
幸せな人生とは何?
まだ今も考え中です。
でも、ぼんやりと分かっていることはあります。
個人的な考えのため否定していただいても大丈夫です。
相対的・人と比べるのは不幸を感じる
世界には満足に食べられない、教育を受けられない人もいるのに
贅沢だ、お前たちは恵まれているんだと言う人もいますが、
そういうことではありません。
その場での幸せとは周囲と比較して優越感・劣等感で決まると考えます。
私は正直とても周りが妬ましい。
でも全てが他人より上手くいくはずがないため
ここで競うと不幸になると考えます。
何月何日の時点で幸せ?
人生は続いていくためその時点で終わりではない
ただし、その一瞬を切り取った時刻での一時的な幸福感はあると思います。
一方で幸せな人生というのは、ある一点の何月何日の時点で幸せというものではなく
死ぬ間際だけ、結婚式の日だけ幸せ、ということではなく、
連続した満たされた日々だと考えます。
マンガやドラマでは
「ああ!いい人生だった!」
「王子様とお姫様は幸せに暮らしました。完!」となりますが
現実は次の日もあるわけです。
~月~日に幸福になった!
はい、目的地に到着!人生終了!とはならないわけですよ。
続いていくんです。どこまでも
それなのに過酷です。人生の長い長い道のりは順風満帆ではなく、
曲がりくねった歪な道、暗い夜の闇の中を進むように、
恐る恐る進んでいくおぞましい感覚を感じる時もあります。
つまづき、転んで、目が見えなくなって…
みじめな私
衣食住があっても人はただ生きているだけで
何もしていなければ、ただ時間が過ぎただけ。
ただ有っただけの存在だと思います。
その日、その日を精一杯生きれば
自ずと結果はついてくると思いましたが
正しくは【至るべき目標を見据えて】その日、その日を精一杯生きる
これが必要だと考えました。
世間一般からすれば当たり前のことなんですが…
私はできていませんでした…
しかし至るべき目標がないから困っているのです。
同じ気持ちをを感じている方へ…
この記事を書いたのは
私だけが特別ではなく、同じ気持ちを感じている方
こういう風に考えて乗り越えようとしている方法もあると
知ってほしかったからです。
というのが本を読んでいると、
なんでこの人は私の気持ちがわかるのだろう?
私の考えにミラクルフィットしている。と考えることがあり、
以外にみんな同じなんだなと思っています。
この記事を書いていて、私のことが分かりました。
打ち捨てられた私、みじめな私、疲れ切った私。
このブログは私へのブログだと気づかされました。
ブログを開始して22日目
今しか書けない気持ちを綴りました。
将来の自分がこの記事を見たらのたうち回ると思います(^^;)
恥ずかしい~~(*ノωノ)
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