「あなたの国の疲れた者、貧しい者を私に与えよ。
震え、寄り添いあい、自由に呼吸をすることを切望する者たちを。
あなたの岸に溢れた、惨めに見捨てられた者たちを。
私のところに送りなさい、家なき者、世に翻弄された者を。
私は黄金の扉の傍らに灯をかかげよう!」- エマ・ラザラス(意訳)
上の詩は自由の女神像の台座に刻まれた、エマラザラスの詩です。
私はこの詩がこの上なく好きで読む度に感動しています。
最近労働が過酷で、時間も場所もプライベートさえも束縛されているよう感じています。
そのため自由を求めていたのですが、自由とは何か改めて考えてみました。
結論から言うと資本主義社会では自由=金銭に束縛されていないこと
そしてそのために「働くのが当たり前」と言う考えが束縛の原因と考えます。
現在は労働の奴隷
生きるために、食べるために、暮らすためにサラリーをもらって生活をしています。
朝決まった時間に家を出て一日中働き、深夜に帰宅する。土日も仕事で自分の時間は限りなく少ない。夜でも携帯電話に着信がある。束縛されており自由など微塵も感じられません。
転勤によって住む場所が決められ、時間を縛られ、思考を縛られる。
労働が最優先で、労働時間の合間に娯楽を少し挟むと言うわけのわからない生活になっています。
定年まで働くのが当たり前
なぜそんな苦しい思いをして会社に行くのか?→働かないと生きていけないから。すなわちお金のためです。
当たり前のことを言っていますが、私は状況に流れていて「定年まで働くことが当たり前」そんな風に考えていました。
資本主義社会での自由の意味
お金を考えずに生活できれば、好きな仕事ができ、好きなところに住め、好きな暮らしができる。何をやっても良い、どこに行っても良い。好きな時間に好きなことを人の顔色をうかがわずに行動できる。
これであれば今の生活と真逆です。
そして「お金」は「働く」と言うことのみで得るわけではありません。資産運用・不労所得で経済的独立ができていれば「働く」必要はないわけです。それこそ「好きなことを仕事に」ができれば最高です。
今流行りのFIREのFIの部分ですが「経済的独立」と言うとしっくり来ませんでしたが、「自由」と置き換えると欲しくてたまらなくなりました。資本主義社会では「お金」=「自由」
ガッツリ拝金主義になってしまいましたが、その先の自由が欲しいのです。
コメント
これだけ資本主義、自由と繁栄の弧といいながら、金儲けは悪、働かざる者食うべからずという国も珍しいのではなかろうか?